アルカトラズ島「ザ・ロック」脱獄・脱出不可能の刑務所

アルカトラズ島は「ザ・ロック」とも呼ばれる脱獄不可能と言われた刑務所のあった監獄島です。
シカゴのギャング、アル・カポネなど、国民の敵、凶悪犯が数多く収監されていました。

現在は観光客に公開され、ツアー見学することもできるアルカトラズ島の歴史をご紹介します!

  • アルカトラズの意味など島の基礎知識
  • アルカトラズ島の軍事要塞と刑務所時代
  • ザ・ロック連邦刑務所時代
  • 建物の造りと囚人の付けたニックネーム、恐ろしいガンギャラリー
  • 囚人の毎日の生活と監房の様子、4つの権利
  • 古い塩水と呼ばれた看守と独房監禁、刑務所での死者数
  • アルカトラズ島からの脱獄と有名な囚人

アルカトラズの意味など島の基礎知識

アルカトラズ島(アルカトラズとう Alcatraz Island)

どこにある?:
アメリカカリフォルニア州のサンフランシスコ湾です。

アルカトラズの意味は?:
島が命名されたのは、1775年、スペインの探検家ホアン・マニュエル・デ・アヤラによってでした。
彼は「ペリカンの島」を意味する

ラ・イスラ・デ・ロス・アルカトラレイセス(La Isla de los Alcatraces)」

と名付けました。

最初の居住者は?:
紀元前約4000年から、ネイティブ・アメリカンが居住者でした。
彼らは、カリフォルニア沿岸のネイティブアメリカンである、ムウェクマ・オローニ部族に属していました。

島は悪霊の故郷として評判が悪く、ネイティブ・アメリカン追放者の流刑地、埋葬地だと信じられていました。

最初の刑務所が建設されたのは?:
砦が刑務所として初めて使われたのは、1853年です。

どうしてアルカトラズの刑務所は閉鎖された?:
施設の老朽化と、運営費用があまりに高かったためです。
(他の刑務所が囚人1人あたり1日3ドルに対し、10ドルもかかりました。)

続いて監獄島になるまでの、簡単なアルカトラズ島の歴史に迫ります。

アルカトラズ島の軍事要塞と刑務所時代

1848年、米墨戦争(メキシコとアメリカの戦争)の終わりに、カリフォルニアはアメリカの一部となりました。

1850年になると、島はサンフランシスコ湾を守るための「防衛のトライアングル(三角)」の一部に指定されました。
要塞は、アルカトラズ島、フォートポイント、ライムポイントに建設される予定でした。

要塞は1853年に島に建設されました。
労働者は島の周りに高い壁と大砲を設置しました。


1854年、灯台が島に建設されました。
カリフォルニア西海岸の最初の灯台でした。

 

1859年までに、島の頂上に3階建ての要塞が建てられました。
要塞は、深く乾いた堀の上の橋を介してのみアクセスが可能でした。
武装した兵舎と、最後の防衛線として役立ちました。

強化された島と要塞は、南北戦争(1861年〜1865年)中に連合軍によって使用されました。

 

1861年、アルカトラズ島は公式に軍の刑務所に指定されました。
陸軍の囚人は、「ロウアー・プリズン(Lower Prison)」と呼ばれる刑務所施設を増築しました。

米西戦争(スペインとアメリカの戦争)(1898年4月25日〜1898年8月12日)の間、刑務所の人口は25人から441人に増加しました。

そこで 「アッパー・プリズン (Upper Prison) 」が大急ぎで建てられました。
木造の2階建て、3つの建物で構成されていました。

 

1907年、この島は「アルカトラズ島・米軍刑務所太平洋支部(Pacific Branch, U.S. Military Prison, Alcatraz Island)」に改称されました。

アルカトラズの未来は防衛拠点ではなく、軍の刑務所でした。
軍の囚人は砦を破壊し、砦と堀の敷地に巨大な監房棟を建てました。

木造の建物は新しいコンクリートの建物に取り替えられました。
4つの監房棟、病院、食堂、厨房、運動場、管理事務所で構成された大規模な刑務所でした。

新しいアルカトラズの刑務所建設は1912年に完了しました。

 

1915年、島は「アルカトラズ島・米国軍刑務所太平洋支部(Pacific Branch, U.S. Disciplinary Barracks, Alcatraz Island)」に改称されました。

1933年10月12日、刑務所は米国司法省に移管されました。

1934年8月、アルカトラズ島は連邦刑務所局の一部となりました。

ザ・ロック連邦刑務所時代

悪名高いハイセキュリティのアルカトラズ刑務所は、29年間稼動しました。

建物の造りと囚人の付けたニックネーム、恐ろしいガンギャラリー

アルカトラズの刑務所は4つのブロックで構成されていました。
ブロックには336の監房があり、3階建てでした。

  • Aブロックは、主に倉庫や事務所として使用していましたが、まれに他の受刑者から完全に隔離されてなければならない囚人を収容することもありました
  • BブロックとCブロックが囚人を収容しました
  • Dブロックには36の隔離房と6つの独房監禁房がありました
  • Dブロックには図書室もありました

囚人たちは、監房の間の長いコンクリートの廊下にニックネームを付けていました。
それは、ブロードウェイ、タイムスクエアなどのアメリカの通りやランドマークの名前でした。

  • AブロックとBブロックの間の廊下は、ミシガンアベニュー
  • BブロックとCブロックの監房間の中央通路は、ブロードウェイ
  • 食堂エリアの時計の下は、タイムズスクエア
  • Cブロックと図書質の間の廊下は、パークアベニュー
  • Dブロックの廊下は、サンセットストリップ

ガンギャラリーは各ブロックの終わり、上階にありました。
監房を見渡せるここに銃を持った看守がいて、囚人達を監視していました。

囚人の毎日の生活と監房の様子、4つの権利

連邦刑務所に収容された囚人は、合計1,576人でした。

最初の囚人は、1934年8月11日午前9時40分に到着した137人でした。

 

BブロックとCブロックの監房の大きさは、約1.5メートル×約2.7メートルでした。
各監房には、冷水の洗面台、寝台、棚、折り畳み式のスチールテーブルと椅子、トイレがありました。
1つの監房には、1人の囚人しかいませんでした。

午前中には、すべての囚人が服を着替え、監房をきれいにし、点呼に備えなければなりませんでした。
ヒゲはきれいに剃られなければならず、伸ばすことは許されていませんでした。

囚人は、週2回のシャワーと衣服の交換が許されていました。

アルカトラズ刑務所囚人の持つ4つの権利は、

  • 食糧
  • 医療
  • 住居
  • 衣服

だけでした。

図書室の利用、面会などの権利は、自分で獲得しなければなりませんでした。

面会の権利を得た囚人は、月に1時間半、承認された訪問者だけが会うことを許可されました。
訪問者は16歳以上の犯罪歴のない親族に限られました。
面会は、強化ガラスで区切られ、物理的な接触は許されず、電話で話をしました。

 

すべての会話が厳しく監視されていました。
囚人は所内での生活について話すことは許されず、訪問者は時事問題について話すことが禁止されていました。

囚人は手紙のやりとりは許可されていました。
しかし、すべての郵便は検閲され、不都合な箇所は黒く塗りつぶされました。

 

アルカトラズの刑務所での日常生活は、キッチンや洗濯場での仕事を中心に行われ、消灯は午後9時30分でした。
受刑者は1日に少なくとも14時間を監房で過ごしました。

新聞、ラジオ、テレビは許可されていませんでした。
彼らの読めるものは検閲され、非常に限られたものでした。

平均滞在期間は8年です。
拘置所には当初155名のスタッフがいました。
囚人が一番多かった時の人数は、202名でした。

古い塩水と呼ばれた看守と独房監禁、刑務所での死者数

ジェームス・A・ジョンストンは、1934年から1948年までアルカトラズの4人の看守のうちの1人でした。
彼は厳しい訓練を受け、厳格な規則を課しました。

  • 3人の囚人につき1人の看守(他の刑務所は平均12人の囚人に1人)
  • 拘束服の使用や、暗闇での独房監禁を含む罰を認めました
  • 「サイレントシステム」を採用、囚人同士の会話は禁止されました
    (「サイレントシステム」は4年間施行され、囚人が正気を失ったため廃止されました)
  • 囚人は彼を「古い塩水(Old Saltwater)」と呼びました

 

アルカテルズの刑務所のブロックの中で、Dブロックは最も際立った場所でした。
ここは特別治療ユニットと呼ばれ、隔離されたり、独房監禁された囚人がいました。

 

Dブロックの下層にある5つの監房は、「ザ・ホール(穴)」と呼ばれていました。
このゾッとする監房には、洗面台、トイレ、食べ物を押し込むための小さな開口部を備えた堅い鋼製の扉がありました。

人との接触はまったくありませんでした。
読書も許されず、囚人は夜に寝るためにマットレスを与えられましたが、昼間は没収されました。

「ザ・ホール」には19日間まで監禁することができました。

 

ストリップ・セル」はさらに最悪でした。

ベッド、洗面所、トイレはなく、囚人は床に穴をあけなければなりませんでした。
服も毛布も光もありませんでした。

寒くて暗い中、囚人は通常、2日間「ストリップ・セル」に監禁されましたが、それを超える時もありました。

アルカトラズ刑務所での死者

  • 8人が受刑者によって殺害されました
  • 15人の囚人が自然死・病死で亡くなりました
  • Dブロックの42の監房のうち4つが幽霊が出ると言われていました
  • 島での処刑は一度も行われませんでした

アルカトラズ島からの脱獄と有名な囚人

合計36人の囚人がアルカトラズ刑務所から14回の脱出を試みようとしました。

  • 21人が捕獲され、戻されました
  • 7人が射殺されました
  • 2人が戻された後、また逃亡しました
  • 2グループが別々の試みで、5人が島から逃亡しました
    テオドール・コールとラルフ・ローは1937年に姿を消しました
    フランク・モリスとクラレンス&ジョン・アングリン兄弟は1962年に姿を消しました
    FBIは、彼らが脱出に成功したのか、溺れたのか、判断することができないままです
  • ジョン・ポール・スコットは、1962年12月に首尾よく泳ぎ切った唯一の囚人でした
    しかしすぐにサンフランシスコで逮捕されました

 

アルカトラズ刑務所に収監された有名な囚人は、アル・カポネ、ジョージ・“マシンガン”・ケリー、ロバート・フランクリン・ストラウド(アルカトラズの「バードマン」)、アルバン・カルピスです。

  • アル・カポネは脱税で有罪判決を受け、11年間の判決を受けたシカゴのギャングでした
  • ジョージ・“マシンガン”・ケリーはアイルランド系米国人の暴力団で、強盗武装犯罪で逮捕され、17年間を過ごしました
  • アルバン・カルピスは、拉致、強盗、殺人で有罪判決を受け、26年間滞在した国民の敵でした
  • アルカトラズのバードマン、ロバート・ストラウトは殺人罪で有罪判決を受け、17年間を過ごしました

 

1963年に刑務所は閉鎖され、この場所は現在、ゴールデンゲート国立レクリエーションエリアの一部であり、多くの観光客が訪れています。

まとめ

アルカトラズ島について、いかがでしたでしょうか。

  • アルカトラズ島はカリフォルニア州サンフランシスコ湾にある島で、意味はペリカンの島
  • 最初の居住者はネイティブ・アメリカン、その後軍事要塞、軍事刑務所を経て、連邦刑務所となる
  • アルカトラズ刑務所は4ブロック、3階建て、囚人は廊下や通路にニックネームを付けていた
  • 監房には1人の囚人だけ、衣食住と医療の4つの権利だけが許されていた
  • ジョンストンは厳しい看守で有名、独房監禁やサイレントシステムを採用した
  • 脱獄しようとした囚人は36人、5人が成功したのか、溺死したのか不明のまま
  • 有名な囚人はアル・カポネ、ジョージ・”マシンガン”・ケリー、バードマンなど

でした。

 

アルカトラズ島の見学ツアーは大人気で、当日行っても、まず参加はできません。
事前に予約が必要です。

私も一度だけ参加しましたが、日本語のオーディオツアーもあって、ゆったりと自分のペースでわかりやすく見学できてとても良かったのを覚えています。

オススメスポットです!^^

機会がありましたら、ぜひアルカトラズ島を訪れてみてくださいね!