トーニャ・ハーディングのスケートと事件、毒親に伝記映画

トリプルアクセルという類い稀なる才能を持ちながら、思い出されるのは、

ナンシー・ケリガン襲撃事件

輝かしいオリンピック会場での「靴紐が切れちゃったの!」

という泣き顔という残念すぎるトーニャ・ハーディング。

どうしてそんなことに?
そして、その後どうなったの?

  • 毒親とは絶縁状態!
  • 輝かしいスケートキャリア
  • 史上2番目の快挙のトリプルアクセル
  • ナンシー・ケリガン襲撃事件とリレハンメルオリンピックの靴紐事件
  • スケートという羽を折られた転落人生から幸せな今

トーニャの過去から今までを探ります!

トーニャ・ハーディング毒親とは絶縁状態!

まずは基本情報です。

トーニャ・ハーディング(Tonya Maxene Harding)

母親ゴールデンと、ゴールデンの5番目の夫ハーディングの間の娘

オレゴン州ポートランドに生まれる

誕生日:1970年11月12日

配偶者:ジェフ・ギルーリー(1990〜1993)
ジョゼフ・ジェンス・プライス(2010〜現在)

身長:155cm

公式サイト:
http://www.tonyaharding.org/

トーニャ・ハーディングはホワイトトラッシュ(貧乏白人)の出身です。
貧乏から抜け出すため、スケートに賭けていました。

しかしトーニャが6〜7歳の頃、母親は精神的にも肉体的にも彼女を虐待する様になりました。
そして一日中、お酒を飲んでいました。

トーニャは言っています。
「上手く滑れないからと言って母親が怒り、リンクから髪を掴んで引きずり出して、トイレで痣ができるまでお尻を叩かれたことが何度もあったわ」

一方、母親はこう言っています。
「腕を一回、ヘアブラシで叩いただけよ。
それに母親としてベストを尽くしてきたのよ。
今でも娘を愛している。
これからも愛している」

うーん、毒親がよく言う台詞ですね。
自分がやったことはすっかり忘れている。

2人は今、絶縁状態らしいです。
毒親を切った、という感じなんでしょうね。

「子供の時に母親が私にしたことは全部忘れたわ、だから良いの。
私は大丈夫」

トーニャはもう母親と話すことはないと言ってました。
よっぽどだと思います。

 

トーニャがスケートを始めたのは3歳の時でした。

スケートキャリア、アメリカ初のトリプルアクセル成功

トーニャは12歳で初めてトリプルルッツを成功させ、高校2年生の時に学校に通うのを辞めました。

※でも後にGED(高校の教育過程を修了したと同じ学力があると証明する5教科の試験)に合格しています。
そのままにせず勉強したのは、偉いですね。

スケートに専念したトーニャは、1980年代半ばには頭角を現し始めます。

全米フィギュアスケート選手権:

1987年 第5位
1988年 第5位
1989年 第3位
1991年 第1位
1992年 第3位
1993年 第4位
1994年 第1位(しかし後に剥奪)

トーニャが一番輝いていたのは、1991年、全米フィギュアスケート選手権でした。
初めてトリプルアクセルを成功させ、優勝したのです。

※トリプルアクセル成功は日本の伊藤みどりに次いで史上2番目の快挙!

こちらにその時の全米フィギュアスケート選手権の動画があります。
素晴らしい滑りです^^

同じ年、1991年の世界フィギュアスケート選手権でもトリプルアクセルをしましたが、結果は同じアメリカ人のクリスティー・ヤマグチに次ぐ2位でした。

トリプルアクセルを初めて成功させたという記録的なパフォーマンスがあるにも関わらず、1992年には足首を捻ってしまったり、競争力が低下し始めたトーニャ。
スランプです。

1992年の冬季オリンピック、アルベールではトリプルアクセル失敗で4位、世界フィギュアスケート選手権では6位。
1993年には選手権チームの資格を失ってしまいました。

これで焦ってしまったのでしょうか。
事件は、1994年の冬季オリンピック、リレハンメルで起きました。

ナンシー・ケリガン襲撃事件とリレハンメルオリンピックの靴紐事件

1994年1月6日、デトロイトでのことです。
トーニャのライバルだったナンシー・ケリガンが、練習の後、シェイン・スタントという男に襲われました。

トーニャの元夫、ジェフ・ギルーリーと彼女のボディーガード、ショーン・エッカートが黒幕でした。
リレハンメル冬季オリンピックで良い成績が残せないよう、ケリガンの足を壊すためにスタントを雇ったのです。

幸い、ケリガンは太腿を警棒で殴られ怪我をしただけで、折れることはなくすみました。
しかし全米フィギュアスケート選手権は欠場し、トーニャが優勝しました。

そしてトーニャとケリガンの2人は、共にリレハンメルのオリンピックチームに選ばれました。

 

こんなことをしてまで進んだリレハンメルオリンピック。
でもトーニャは良い成績を残せず、醜態を晒してしまいます。

テクニカルプログラムで10位となって、焦ったのでしょうか。
フリーの演技直前、靴紐事件発生!

名前を呼ばれてもなかなか現れず、バックステージで靴紐をごちゃごちゃ。
ギリギリで現れたかと思いきや、最初のトリプルルッツ失敗直後、演技を中断して、涙ながらに靴紐が悪いのとアピール。
この一部始終が記録されています。

その動画がこちら。
こんなの前代未聞でした。

このパフォーマンスにも関わらず、トーニャは8位。
一方、怪我から完全回復したケリガンは2位で、銀メダルを獲得しました。

悪いことをしてもダメってことでしょうか。

スケートという羽を折られた転落人生

トーニャは3月16日、ナンシー・ケリガン襲撃事件で有罪判決を受けました。
罪を認めることで、懲役刑は免れましたが、

  • 3年間の保護観察
  • 500時間の社会奉仕活動
  • 罰金16万ドル(約1800万円)

を課すという厳しいものでした。

また全米スケート協会は、

  • 1994年の全米フィギュアスケート選手権での優勝
  • 選手やコーチとして全米スケート協会のイベントに参加する権利

を剥奪しました。
これは事実上、彼女からスケートを奪うということでした。

 

ここからの彼女の人生は、険しいものとなります。

元夫ジェフ・ギルーリーとの新婚初夜のプライベート・ビデオが雑誌ペントハウスに売られました。

1995年に「The Golden Blades」というバンドを組んでステージに立ちましたが、成功しませんでした。

でもトーニャは負けませんでした。
低賃金の肉体労働の仕事で生計を立て働きました。

稼ぐために、ボクシングも始めました。
身体能力に優れたトーニャは、ここでもそこそこ良い記録を残します。

しかしプロボクシングとしてのキャリアは非常に短く、2003年2月から2004年の6月まででした。
理由は喘息で、成績は4勝3敗です。

トーニャは2010年6月23日に、ジョゼフ・ジェンス・プライスと結婚しました。
2011年2月19日には、念願の息子が誕生しました!

現在は一人息子ゴードンと親子3人で幸せに暮らしています。

 

そして、来年2018年には、オーストラリアの女優マーゴット・ロビー主演で『I, Tonya』というトーニャの半生を描く伝記映画が公開になります。

どんな半生が描かれるんでしょうね?

まとめ

トーニャ・ハーディングさんについて、いかがでしたでしょうか。

  • 貧乏から抜け出すためにスケートに賭けた青春時代
  • 母親は毒親で、精神的にも肉体的にも虐待を受け、今は絶縁状態
  • 1991年にトリプルアクセルを成功させ、全米フィギュア選手権で優勝
  • しかし翌年からスランプになり、1994年にライバルのナンシー・ケリガン襲撃事件を起こす
  • リレハンメルオリンピックに出場するも靴紐事件の方が目立つ始末、結果は8位
  • ナンシー・ケリガン襲撃事件で有罪判決を受け、罰金など重い刑を受ける
  • そしてスケート選手やコーチとしての道も絶たれてしまった
  • しかしプロボクシングでそこそこの成績を残すなど、いろいろなことに挑戦
  • 現在は2010年結婚の夫と、2011年誕生の息子と、穏やかな生活を送っている
  • 2018年には自伝映画が公開!

でした。

トーニャ自伝映画化のニュースを見て、そう言えばいたなー!と久し振りに検索、記事にしようと思いました。

当時は彼女のこと、余り好きではなかったのですが、いろいろ調べていたら、

毒親とか大変だったんだなー
本当に才能があったのにもったいないなー
バイタリティがある人だなー

と、ちょっとだけトーニャが好きになりました。

ナンシー・ケリガンも貧乏だったそうで、同じような出身なんだから仲良くできれば良かったのに、同病相憐むじゃなくて、同属嫌悪になっちゃったんですかね。

映画、公開されたら観てみようと思います^^