世界恐慌原因をわかりやすく説明!影響は?泣きっ面に蜂状態

1929年に起きた世界恐慌の原因は、ウォール街の大暴落でした。
でもそれまでのアメリカは、繁栄の時代で、誰もがこの良い時代は終わらないと信じていました。

いったい、どんな風にアメリカは変わり、ウォール街大暴落へとつながったのでしょうか?

  • 世界恐慌原因はウォール街大暴落!
  • ウォール街大暴落の原因は?
  • 世界恐慌アメリカへの悲惨な影響

について、わかりやすくお話します。

世界恐慌原因はウォール街大暴落に始まった!

ハーバート・フーヴァーは、1929年3月4日から1933年3月4日まで就任した、第31代アメリカ大統領です。
フーヴァー大統領任期中にあった最も重要な出来事の1つが、世界恐慌でした。

まー、なんと言うか…ついてない大統領ですね^^;

 

世界恐慌は1929年10月29日に発生したウォール街大暴落に始まりました。
この日は火曜日だったので、暗黒の火曜日(Black Tuesday)と呼ばれました。

ウォール街大暴落とは、パニックになって大量の株が売られ、米国株式市場が崩壊したことをいいます。
たった1日で100億から150億ドルが失われました。

 

ウォール街大暴落の原因は様々な要因があります:

  • 米国の経済ブーム
  • 楽観主義と過信
  • 消費者意識の高まり
  • 消費財の過剰生産
  • 簡単な与信制度と借入金の増加
  • 株式市場ブーム
  • 長期のブル・マーケット※
  • 不均衡な富の分配
  • 株式を信用取引で購入(貸出金を使って株式を購入)
  • 銀行システムの弱点

※ブル・マーケット
相場の上昇が続いている、値上がり傾向の市場のこと。

それでは、世界恐慌につながった、ウォール街大暴落の詳細を見てみましょう。

 

当時のアメリカは、経済成長に酔いしれていました。
生産性、売上、賃金の上昇により、財政的繁栄の時代でした。

消費者のため新しい製品の需要が高まり、アメリカの企業は大きな利益をあげていました。
膨大な利益は成長を促し、1920年代の経済活況をもたらし、消費者主義が高まりました。

1920年代の消費主義アメリカは、ますます増え続ける財貨とサービスの獲得を奨励しました。
新聞や新型ラジオを利用した大衆広告で、さらに売上げを伸ばしました。

アメリカ人は、宣伝されている新しい商品や自動車を欲しがりました。
借金はしないという伝統的価値観は、クレジットで購入という概念にすり替わりました。
「倹約して慎重な」アメリカ人は、「今を楽しんで、支払いは後で」という現代哲学を採用したのです。

 

多くのアメリカ人は、いい時は終わらないと信じていました。
そして大きな利益の可能性に惹かれ、人々は株式市場に投資を始​​めました。

米国の産業が盛んになるにつれて、ウォール街の株式市場でも企業の株式が急上昇していました。
株式の価格は年々上昇し、投資家は大幅な利益を上げていました。

この時のウォール街は、株価が1株当たり1922年の50ドルから1929年には350ドルに急上昇した「ロング・ブル・マーケット(長期のブル・マーケット)」でした。
投資家は、投資している企業の株価が、引き続き上昇すると思っていました。
株式の売買には実質、コントロールがありませんでした。

 

ところで、アメリカ人は、「信用取引で」株式を取得していました。
これは、貸し金で株式を購入することを意味しています。
投資家は$1,000の預金で、株式ブローカーからの融資$9,000と合わせて、$10,000の価値の株式を購入するという感じです。

1929年までに3〜400万人のアメリカ人(米国の約10%の世帯)が株式市場に投資しました。

ロング・ブル・マーケットでは、売りたい株式よりも多くの投資家が株式を買いたいと思っていたため、投資家が利用可能な株式を取得しようと競争するにつれて株価がどんどん上昇しました。
市場でシェアを得ようとしていた新しい投資家が、株式の価格を引き上げたのです。

んー、お金が充分無いのに借りて投資!怖い状態ですね^^;

 

企業や工場では、技術の進歩、製造機械の導入、組立ラインなど革新的なシステムを採用し、生産高は高騰、最終的には消費財の過剰生産をもたらしました。

経済ブームの中で、アメリカ人の中流階級の40%が成功して裕福になりました。
しかし残りの60%のアメリカ人は貧しく、生計を立てるのにも苦労していました。
農民の過半数は、過剰生産危機に陥っていました。

1920年代の終わりには、お金持ちは望む商品を購入できましたが、残りの人は新しい高級品を買う余裕はありませんでした。
市場が急速に枯渇したため、購入できるだけの十分なお金を稼ぐ人は余りにも少なく、それなのに余りにも多くの製品だけが生産されていました。

 

株価は1926年と1927年に急激に上昇し始めました。
1929年の市場価格の最高値は、8月でした。

1929年3月25日、ウォール街にミニクラッシュがありました。
不吉の前兆でしたが、警告はほとんど無視されました。

1929年、鉄鋼生産量と建設数が減少、自動車販売数も減少し、消費者は簡単な与信制度のため高額債務を抱えていました。

深刻な状態にもかかわらず、株式市場は、実質的な指標を無視した上向きの勢いを続け、株価は毎月過去最高を記録し、ダウ・ジョーンズ指数は1929年3月の低水準から倍増しました。

ブル・マーケットは、投資家が新たな資金を投入している間だけ続きました。
そして1929年の夏には、ウォール街の株式市場には新しい投資家が不足していました。

そんなにいつまでも続かないですよね…^^;

9月5日、投資家でビジネス理論家のロジャー・バブソンは、マサチューセッツ州で開催された年次ビジネス会議でこう予測しました。

「遅かれ早かれ、暴落は来る。それは酷いものになるかもしれない」

プロの投資家は、好不況の循環の危険性を分かっていました。
彼らは株式を売却し始めました。

うーん、被害に遭うのは情弱の素人のみか…胸が痛みます。

株価は徐々に下落し始め、投資家は融資の払い戻しを心配し、売却を開始しました。
下向きのスパイラルが始まり、株価はさらに下落しました。

1929年10月21日の月曜日。

株式の価格が下落したので、株式ブローカーは自分たちの融資を守ろうと、顧客へ大規模な「マージンコール」を発行しました。
「マージンコール」とは、投資家に融資の即時返済を要求するものです。
投資家は融資を返済するために、すぐに株を売却しなければなりませんでした。

ウォール街のパニックが始まりました。

パニックが広がり始め、1929年10月24日(暗黒の木曜日)には1日で12,894,650株が取引されました。

28日の月曜日、株式市場は急落し、50億ドルの損失が報告されました。
これはヨーロッパの株式市場にも伝染しました。

1929年10月29日火曜日(暗黒の火曜日)株価は完全に崩壊しました。
ニューヨーク証券取引所では、1日に大量の16,410,030株が取引されました。

 

この頃のアメリカには、小規模な銀行がたくさんありました。
そして銀行を統制するための連邦規制は事実上ありませんでした。

小規模な銀行は、預金者の資金をブル・マーケットへと無謀な投資をし、顧客の貯蓄で株を購入していました。
他の銀行は投資家に資金を貸していました。

株式市場が崩壊した時、小規模銀行は資金を失い、債務不履行に陥り、顧客の引き出し要求に対応する資産がありませんでした。
小規模銀行が閉鎖し始め、他の銀行は貸出を停止し、信用供与を減らし、景気は後退に転じ、世界恐慌につながったのです。

 

株価は引き続き下落し、11月中旬には株式市場で300億ドルの驚異的な損失がありました。
1929年11月23日、株式市場が底を打ち、ついに安定し始めました。

 

米国市場が回復するには23年かかりました。

 


次に、アメリカでの悲惨な世界恐慌の影響を見てみましょう。

世界恐慌影響inアメリカ

世界恐慌は1929年から10年間続きました。
次の大統領のルーズベルト大統領がニューディール政策を行いましたが余り効果はなく、第二次世界大戦が発生した1939年にようやく終わりました。

 

最悪の年は1933年でした。

この年の失業率は、25%でした。
毎日12,000人以上が失業し、1,200万人以上の人が失業しました。

1929年から1931年の間に、3000以上の銀行が倒産しました。
連邦政府は銀行預金を保証しなかったので、顧客は全ての貯蓄を失いました。

真面目に倹約して、安全に保管するためにと銀行にお金を預けていたアメリカ人もいました。
しかしその預け先の多くは、無謀に投資家に資金を貸し出し株式投資していた小規模銀行でした。

銀行倒産のニュースを聞き、人々は自分の預金を引き出そうと銀行に殺到し、銀行は現金を使い切って倒産するという、負のスパイラルでした。

自殺件数は、1929年に10万人あたり18.9人に急増しました。

2万社以上の企業が破産、閉鎖しました。

1932年までに建設プロジェクトは80%減少しました。

1933年までに7万の工場が閉鎖しました。

人々は仕事もお金も無く、飢えていました。
そこで慈善団体による「スープキッチン」が出来ました。
そこでは無料で、野菜スープとパンを提供しました。

※余談ですが、アル・カポネはこのスープキッチンを利用して、慈善事業を行いイメージアップをしていたそうです。
「カポネ・フリースープキッチンで12万ドルの食事を提供」など。

 

また、ダストボウルというアメリカ史上最悪の干ばつが1930年から10年続きました。
ノースダコタ州、サウスダコタ州、ネブラスカ州、カンザス州、オクラホマ州、ニューメキシコ州の農家が被害を受けました。

雨が降らなけいため、土は埃に変わりました。
暴風が吹き荒れて乾燥した土壌をつくり、恐ろしい砂嵐を引き起こしました。

作物は荒廃し、家畜は殺されました。
農民は土地と家を銀行の差し押さえにあい、失いました。

ダストボウルで1億エーカーの土地が破壊されました。

泣きっ面に蜂状態ですね><、

 

第二次世界大戦で世界恐慌は終わり、不況から脱する訳ですが、今度は戦争の始まり…。
また別の荒廃した世界の始まりに置き換わっただけという、本当に厳しい時代ですね。

まとめ

世界恐慌について、いかがでしたでしょうか。

  • 世界恐慌原因はウォール街大暴落に始まった
  • この日は火曜日だったので、暗黒の火曜日(Black Tuesday)と呼ばれている
  • 大暴落の原因は様々だが、楽観主義と過信、株式市場ブーム、長期のブル・マーケットなど
  • 世界恐慌は10年続き、最悪は1933年
  • 世界恐慌は第二次世界大戦でようやく終わりを迎えた

でした。

ウォール街大暴落までの様子を読んでいると、なるべくしてなった!と思えるのですが、いざ、自分がその中にいると、きっと分からないものなのかな?と思えました。

実は私も80年代のバブル景気を経験した人間でして。
でも特に無駄使いなどしなかったし、投資もしなかったので、大儲けも大損もせず…。

だけど社内旅行ではハワイとかお小遣い付きで、ホテルもダブルルームのシングルユースで贅沢でしたよ。
良い時代だったな〜〜〜。

弾けちゃいましたが^^;

悲惨な生活にならず、良かったと思うべきですね、はい。