朝鮮戦争の原因をわかりやすく解説!核兵器の可能性も?!

アメリカと北朝鮮と言えば、キーとなっているのは「核兵器」。
その原因となったといわれる朝鮮戦争は、どのような戦争だったのでしょうか?

この記事では、アメリカで子ども達が教えられている朝鮮戦争を、

  • 朝鮮戦争とは
  • 戦争の始まり
  • 朝鮮戦争のタイムライン
  • 戦後、変わったことは?

を順序立ててわかりやすく解説しました。

目次

朝鮮戦争とは

まず簡単にまとめます。

  1. 朝鮮戦争(Korean War)
  2. いつ?:
    1950年6月25日から1953年7月27日
    3年1ヶ月と2日間
  3. どこで?:
    朝鮮半島
  4. 誰が?:
    北朝鮮・中国・ソ連からの共産主義国と、韓国・アメリカ合衆国など20の国際連合軍が、
  5. 何をした?:
    どちらも勝利の見込みのない「こう着状態」で、始まった時とほぼ同じ領土の南北分断で休戦協定となった

3年以上かけて、結局、前と変わらず。
でも、何か得るものはあったのでしょうか?

まずは戦争が始まる前の話から見てみましょう。

開始までのこと

1945年8月、第2次世界大戦の終わりに、アメリカとソ連は朝鮮に駐留する日本軍を武装解除しました。
そして日本の植民地制度を解体し、朝鮮半島を2つに分けることを決定しました。

朝鮮は緯度38度で分割されました。
南部は米軍が支配、北部はソビエト軍が支配しました。

分けられた半島
分けられた半島

たまに「朝鮮戦争のせいで朝鮮半島は分裂した」という方がいますが、戦争の前、とっくにアメリカとソ連によって分裂させられていたんですね。

MAKI

酷い話だと思います、日本を同じようにされていたら…とんでもないですよね。

それでも南部と北部、それぞれ認め合い仲良くできれば良かったのですが、やはり双方、朝鮮統一の野望は捨てきれず…。
双方の不信が高まり、 冷戦が勢いを増していきました。

アメリカワシントンDCにある記念碑
アメリカワシントンDCにある記念碑

1950年2月15日、ソ連と、毛沢東主導の中華人民共和国は、相互防衛と援助に同意する条約に署名したと発表しました。
この条約は、世界の2大共産主義国家が結束したという大きな意味がある条約でした。

こうして、北朝鮮には共産主義の政権韓国にはアメリカを支持する政権が設立されたのでした。

両政府は、半島全体に対して権威を主張しました。

こうなったらもう、上手くいくはずがないですよね。

北朝鮮軍は、ソビエト軍の援助を受けて、すぐに大軍を用意しました。

MAKI

嫌な予感しかしない!…朝鮮戦争の始まりです。

朝鮮戦争をタイムラインで

国境での紛争が激化、緊張が高まる中。

1950年

6月25日午前4時 第一次ソウルの戦い

北朝鮮からの軍隊が韓国に侵攻

6月28日 北朝鮮がソウルを陥落

この時、北朝鮮人民軍(NKPA)は約135,000人の兵士、韓国軍は約98,000人の兵士で北朝鮮の方が優勢でした。

MAKI

という訳で、先に宣戦布告もなく奇襲攻撃をしてきたのは北朝鮮の方でした

アメリカが日本にいた陸軍を韓国の応援に出す

日本にいたのは、あのダグラス・マッカーサーです。

7月5日 烏山(オサン)の戦い

米軍と北朝鮮が戦い北朝鮮の勝利

7月6日 平壌(ピョンヤン)の戦い

米軍と北朝鮮が戦い北朝鮮の勝利

MAKI

米軍より北朝鮮軍の方が強かった…!

アメリカ軍を中心とする国連軍が韓国軍として参戦

8月4日〜9月18日 釜山橋頭堡(プサンきょうとうほ)の戦い

国連軍と北朝鮮が戦い国連軍の勝利

8月5日〜19日 第一次ナクトンバルジットの戦い

国連軍と北朝鮮が戦い国連軍の勝利

8月12日〜25日 ボウリングアレーの戦い

国連軍と北朝鮮が戦い国連軍の勝利

9月1日〜12日 第二次ナクトンバルジットの戦い

国連軍と北朝鮮が戦い国連軍の勝利

MAKI

国連軍が参戦してからは国連軍の連勝です!

9月10日〜19日 仁川(インチョン)上陸作戦

国連軍と北朝鮮が戦い国連軍の勝利

これはダグラス・マッカーサー提唱の作戦で、とても成功率は低いと思われた作戦でした。

仁川の戦いで敗戦した北朝鮮軍は、北緯38度線以北へ後退しました。

9月22日〜25日 第二次ソウルの戦い

国連軍と北朝鮮が戦い国連軍の勝利

9月28日 国連軍がソウルを奪還

10月21日〜22日 粛川・順川(スクチョン・スンチョン)の戦い

国連軍と北朝鮮が戦い国連軍の勝利

11月5日 パクチョンの戦い

国連軍と北朝鮮が戦い国連軍の勝利

中国が人民義勇軍として北朝鮮応援に参戦

このままではまずいと思った中国が、北朝鮮の応援に参戦しました。
でも中国として参戦して、アメリカと全面戦争になるのはまずいので、人民義勇軍(志願した人たち)という建前での参戦でした。

MAKI

その人数は100万人規模でした
さすが中国、人数がハンパないですね

11月27日〜12月13日 長津湖(ちょうしんこ)の戦い

国連軍と中国軍が戦い中国軍の勝利

国連軍は撤退、しかし中国軍もかなりの痛手となりました。

中国が参戦し、状況が一変しました!

11月30日、トルーマン大統領は記者会見で、アメリカが原子爆弾の使用を検討していると認めています。

MAKI

ぐあ〜、アメリカってすぐに原子爆弾なんですね
日本に使ってすぐですよね、これ

12月15日、トルーマン大統領は、国家緊急事態を宣言しました。

12月31日〜1951年1月7日 第三次ソウルの戦い

国連軍と中国・北朝鮮が戦い中国軍の戦術的勝利
北朝鮮が再びソウルを陥落

ダグラス・マッカーサーは、戦争を延長する許可をトルーマン大統領に求めました。

さらに、中国の港湾封鎖と核兵器による中国の都市の爆撃要請もしました。
トルーマン大統領はマッカーサーの要求を拒否しましたが、マッカーサーは要求を諦めず、大統領の決定を公然と批判しました。

大統領と軍の間の公然の衝突です。

MAKI

これ、やってたら大変なことになってましたね…原子爆弾を気楽に考えすぎですよね

1951年

1月25日〜2月20日 サンダーボルト作戦

国連軍と中国・北朝鮮が戦い国連軍の勝利

2月1日 ツイントンネルの戦い

国連軍と中国軍が戦い国連軍の勝利

2月13日〜15日 チピョンニの戦い

国連軍と中国軍が戦い国連軍の勝利

2月20日〜3月6日 キラー作戦

国連軍と中国・北朝鮮が戦い国連軍の勝利

3月7日〜4月4日 第四次ソウルの戦い

国連軍と中国・北朝鮮が戦い国連軍の勝利

3月14日 国連軍が再びソウルを奪還

3月23日〜28日 勇敢な作戦

国連軍と中国・北朝鮮が戦い国連軍の勝利

3月23日 トマホーク作戦

国連軍と中国・北朝鮮が戦い国連軍の勝利

4月1日〜22日 ラギッド作戦

国連軍が38度線へ軍事侵攻

4月5日、トルーマン大統領は、ダグラス・マッカーサーを不服従を理由に解任し、マシュー・リッジウェイが着任しました。

4月22日〜25日 カピョンの戦い

国連軍と中国・北朝鮮が戦い国連軍の勝利

4月22日〜25日 臨津川の戦い

国連軍と中国軍が戦い決着付かず

5月18日、国連諸国は中国の軍事用品のボイコットを始めました。

7月8日に開城(北朝鮮の南に位置)で平和協議が始まりました。

8月18日〜9月5日 ブラッディ・リッジの戦い

国連軍と中国・北朝鮮が戦い国連軍の勝利

9月13日〜10月15日 ハートブレイクリッジの戦い

国連軍と中国・北朝鮮が戦い国連軍の勝利

10月2日〜5日 コマンド作戦

国連軍と中国軍が戦い国連軍の勝利

10月3日〜8日 マヤン・サンの戦い

国連軍と中国軍が戦い国連軍の勝利

MAKI

この年は、ほぼ国連軍の勝利ですね

1952年

3月21日〜7月18日 ヒル・エリーの戦い

国連軍と中国軍が戦い国連軍の勝利

10月6日〜15日 ホワイト・ホースの戦い

国連軍と中国軍が戦い国連軍の勝利

11月4日、ドワイト・D・アイゼンハワーがトルーマンを継いで大統領になりました。
そして29日には、韓国へと向かいました。

6月26日〜1953年3月26日 オールド・バルディの戦い

国連軍と中国軍が戦い1952年は国連軍の勝利、1953年は中国軍の勝利

1953年

3月〜7月 ポークチョップヒルの戦い

国連軍と中国軍が戦い4月は国連軍の勝利、7月は中国軍の勝利

5月28日〜29日 フックの戦い

国連軍と中国軍が戦い国連軍の勝利

7月24日〜26日 サミチョン川の戦い

国連軍と中国軍が戦い国連軍の勝利

戦争は1953年まで、国境線争いをして続いていました。

この年、アメリカの新大統領に就任したアイゼンハワーは、平和交渉が始まらなければ、朝鮮戦争を終わらせるために、核兵器の使用を含むどんな力でも用いると述べました。
このアイゼンハワーの瀬戸際の脅威(核戦争の瀬戸際への脅威)が効果をもたらしました。

MAKI

まあ、実際は、ソ連のスターリンが3月に亡くなったことなども影響しているそうですが、アメリカの教科書では、アイゼンハワーのおかげ!みたいに書かれてました^^;

7月27日 板門店(パンムンジョム)で停戦協定が締結

38度線は、共産主義の北と反共産主義の南の境界線として再設定されました。

韓国のために戦ったアメリカと国連軍の死傷者数は、死者17万8,426人、行方不明者3万2,925人、負傷者56万6,434人に上りました。
北朝鮮のために戦ったソ連、中国、北朝鮮の死傷者数は、死者36万7,283人、行方不明者と負傷者は70万人と推定されています。

北朝鮮と韓国は、現在、朝鮮戦争が始まった時とほぼ同じ領土を占領している「非武装地帯」(DMZ)によって隔てられたままです。

朝鮮戦争後、変わったことは?

朝鮮戦争は、アメリカにとっては、韓国での共産主義の普及を止め、敵国の強大化を抑制するという目標を達成しました。

またアメリカ軍は、朝鮮戦争以来、韓国を拠点にして、韓国が国境を守るのを助けています。

戦争はどちらの勝利という形も取らず、核戦争の脅威で終わりました。

北朝鮮が核兵器の開発に躍起になったのも分かります。

アメリカが朝鮮戦争でも持ち出しているのですから。

冷戦がヨーロッパからアジアに拡大し、アメリカは韓国、日本、フィリピン、台湾、オーストラリアと防衛協定を締結しました。

アメリカは、ベトナムで共産主義のゲリラと戦っているフランス軍に援助を送り始めました。
朝鮮戦争は1953年7月27日で休戦しましたが、すぐにベトナム戦争が1955年11月1日に始まっています。

まとめ

朝鮮戦争の原因をわかりやすく解説!核兵器の可能性も?!、いかがでしたでしょうか?

  • 朝鮮戦争は、北朝鮮がソ連と中国をバックに韓国に起こした戦争
  • 韓国はアメリカなど20の国際連合軍がバックアップ、こう着状態となり、始まった時とほぼ同じ状態で休戦
  • 3年1ヶ月かけてほぼ変わらず、現在は非武装地帯で隔たれている
  • アメリカは核兵器の使用も考えていた

でした。

アメリカでは朝鮮戦争のことを「忘れられた戦争」とも呼んでいます。

影響の大きかった第二次世界大戦と、ベトナム戦争の間にあった戦争だし、自分が宣戦布告された訳ではなく、国連軍として参加しただけだから、みたいですが、なんかちょっと…ですよね。

実情は、北朝鮮とアメリカの戦争という感じなのに。

今は休戦となっている朝鮮戦争、すぐにでも始まりそうな雰囲気がありましたが、今は落ち着いているようです。

このまま何もないことを願っています。

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