ボストン茶会事件とは?背景、紅茶とコーヒー

ボストン茶会事件(ボストン・ティー・パーティー)は、1773年に起こりました。
アメリカ独立戦争のきっかけとなった、とても重要な事件です。

イギリスを相手に、植民地の人々がどう闘うのか?

  • ボストン茶会事件とは?
  • ボストン茶会事件の背景
  • 茶会事件と紅茶、コーヒーの関係

を分かりやすく順を追ってお話します!

ボストン茶会事件とは?

ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん)
英語だと、ボストン・ティー・パーティー(Boston Tea Party)

いつ?:
1773年12月16日

どこで?:
マサチューセッツ植民地(現在のアメリカマサチューセッツ州)のボストン

誰が?:
イギリス本国議会の植民地政策に怒った植民地人の急進派約50人が、

何をした?:
ボストン港に停めていたイギリス東インド会社の船にネイティブアメリカンに変装して侵入
船荷の茶箱342箱(1万8千ポンド)を

「今夜、ボストン港をティーポットに!」

と叫びながら海に投げ捨てた事件のこと

どうして重要?:
アメリカ独立戦争のきっかけとなったから

茶会なんて何だか楽しそうな名前なのに事件なの?と思っていましたが、

「ボストン港をティーポットに!」

この言葉がティー・パーティーという名前の元になっているのですね。

ちょっと皮肉っぽくて、良いネーミングだなと思いました。

では、具体的に事件の背景に迫っていきましょう!

ボストン茶会事件背景

アメリカは1500年代から、スペイン、フランス、イギリスなどヨーロッパの植民地でした。

1700年代に入り、イギリスとフランスが数年間に渡る戦争を行い、遂にイギリスが勝ちました。

植民地アメリカはイギリスの物になりましたが、戦争でお金をたくさん使ってしまったイギリスは、

「植民地を守るためのお金だから、植民地の人から税金を取ってやれ!」

と、次々と課税をしてきました。

1764年 砂糖法

砂糖の他、ワイン、コーヒー、衣類などに課税

植民地の商人達が打撃を受け、強い反対で1766年に撤廃されました。

1764年 通貨法

アメリカで通貨の発行を禁止

しかしこれだけでは足りなかったようで、イギリス、こんなのを出しました。

1765年 印紙法

新聞、パンフレットなどの印刷物はもちろん、暦やトランプなどにまで課税(イギリスの印紙を貼る)

大学の卒業証書にも2ポンド課税されたそうです。

もう、むちゃくちゃですね^^;
そこまでお金ないのかい!って感じです。

ここまでいくとコメディ映画の世界みたいで、笑えます。
でも現実にそこで生活している人達は、もちろん笑ってなんかいられない訳で。

大反発をくらい、翌年には撤廃されました。

しかしイギリス、凝りません。
また新しいのを出してきました。

1767年 タウンゼンド諸法

ガラス、鉛、ペンキ、紙、茶など日常品に課税

タウンゼンドは人の名前です。
でも法を発したその年にご本人は亡くなられています。

この法も、もちろん大ブーイングでした。
イギリス製品ボイコット運動が起こりましたが、それでも3年続きました。

撤廃となったきっかけは、1770年に起きたボストン虐殺事件です。

虐殺なんて言うと恐ろしい感じですが、イギリス兵が暴動を起こした市民5人を射殺したという事件です。

市民は普段からタウンゼンド諸法に強い不満を持っていましたから、暴動が起こりやすい環境だったのでしょう。
そこにイギリスの兵士が無差別に発砲。
市民にとっては、市民への「虐殺」に見えたのでしょうね。

でもタウンゼンド諸法の全撤廃はされませんでした。
お茶だけは高く課税されたまま残りました。

 

このお茶が、と〜っても大事だった!というのが、次のお話です。

ボストン茶会事件と紅茶

実は当時、紅茶は植民地の人々の間にも浸透していて、大人気だったのです。

それだけにお茶の税金が高いままなのには納得がいきませんでした。

そこで密輸茶が広まり、皆、イギリスのお茶は買わなくなりました。
高いお茶を買いたくないですからね。

ところでこの頃、こんな言葉がありました。

代表なくして課税なし

植民地の人は、イギリスの議会に自分たちの議員(代表)を送る権利がありませんでした。

自分たちの代表がいない議会が決めた課税に従うことはない

権利がないんだから、義務もないよ、という訳です。
こんな風に思っている訳ですから、不満も強くなる訳です。

とっても真っ当な意見だと思いますが、イギリスからすれば、植民地の分際で!と思われそうな気もしますね^^;

1773年、茶法

イギリス東インド会社の植民地への独占販売権

困ったイギリスが出したのがこれです。

おかげで紅茶が安く買えるようになりました。

しかし今まで密輸貿易をしていた人達は、生活の糧を失うことになりました。

そして起こったのが、

ボストン茶会事件

腹いせに、ボストン港にイギリスのお茶を投げ込んでやれ〜!

です^^;

 

翌年、イギリスは報復にでました。

被害を弁償するまでボストン港は閉鎖。
さらに「耐えがたき条令」と言われた、強圧的諸条令を制定してきました。
何がなんでも屈服させようとしてきたのです。

植民地の人達がどうなったか?どうしたか?

団結がさらに強まり、アメリカ独立戦争へと繋がっていきました。

面白いのが、密輸するくらい、紅茶が大好きだったのに、紅茶までボイコットするようになったことです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というヤツですね。

だからアメリカでは今、コーヒーが主流なんだそうです。

ボストン茶会事件がなかったら、今でもアメリカでは紅茶の方が飲まれていたかもしれませんね。

まとめ

ボストン茶会事件について、いかがでしたでしょうか。

  • イギリスが植民地支配戦争に勝利、いろいろと資金回収のため課税をしてくる
  • 植民地の人は反発、暴動から虐殺事件まで起きる
  • イギリスの東インド会社に融通した茶法に怒り、ボストン港に停まっていた船から紅茶を捨てた
  • それがボストン茶会事件

茶会なんて言うと、不思議の国のアリスのティーパーティーしか浮かばない私でしたが、今回調べて、とても勉強になりました。

特にアメリカがコーヒー好きになった理由というのが面白いですね^^
アメリカンコーヒーが薄いのは、こういう理由なのでしょうか。