キューバ危機をわかりやすく解説!核戦争を回避したケネディ大統領

こんにちは、2000年からシリコンバレー在住のMAKIです。

あわや核戦争、第三次世界大戦?!
そんな映画や小説の中のお話のようなことが、キューバを舞台に、米ソ間で実際にあったのがキューバ危機です。

メインの登場人物は、

  1. ロバート・ケネディ大統領
  2. ニキータ・フルシチョフ首相

そしてキューバのフィデル・カストロ
すごいメンバーですよね?

この記事では、

キューバ危機の原因はカストロのキューバ革命から始まった
核戦争、アメリカvsソ連勃発?!
キューバ危機の結果は?

について、出来るだけ分かりやすく解説しています。

キューバ危機とは

キューバ危機(Cuban Missile Crisis)

いつ?:
1962年10月16日から28日

どこで?:
キューバ

誰が?:
アメリカ合衆国と、ソビエト連邦が、

何をした?:
全面核戦争寸前の危機的状況になった

どうして重要?:
米ソ間でホットラインが設置されるようになり、首脳同士が電話で会談できるようになったから

緊迫した13日間のお話です。

キューバ危機原因とカストロ

キューバ危機は何故起こったのか?

それを知るには、キューバの歴史を少し知る必要があります。

 

1898年の米西戦争で、キューバは独立を勝ち取りました。
でも直ぐに、実質的にはアメリカの支配下に置かれることになります。

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そうした中、軍事クーデタで独裁者として君臨していたのがフルヘンシオ・バティスタでした。
アメリカはこの軍事政権を容認していました。

これに反発したのが、フィデル・カストロです。
彼はチェ・ゲバラと共にバティスタ政権を倒しました。

1959年のこれを、キューバ革命と呼びます。

新しく首相となったカストロは、すぐにアメリカを訪問しました。
キューバの砂糖産業を守るため、経済援助を申し入れるためです。

アメリカ訪問時のカストロ

しかし当時のアメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは、親米政権だったバティスタ政権を倒したカストロを信用しませんでした。
そしてあろうことか、カストロ政権を倒すことを狙った作戦も展開しました。

作戦は失敗しましたが、カストロはもちろん激怒しました。
そして、アメリカがそういう態度ならソビエト連邦だ!と、ソビエト連邦に接近したのです。

 

何故、ソビエト連邦なのか?

この当時、アメリカはソビエト連邦と冷戦状態にあったからです。

アメリカ=資本主義

ソビエト連邦=共産主義

という図式です。

お互いに核兵器を持ち、お互いにいざとなったら使うぞと脅しあっている犬猿の仲でした。

でも一つ決定的に違ったこと。

アメリカはトルコに核ミサイルを配備していて、すぐにでもソビエト連邦を攻撃できました。

でもソビエト連邦には、直接アメリカを狙えるミサイルを配置する場所がなかったのです。

そんな時、アメリカのすぐ横にあるキューバがやってきたのです。
ソビエト連邦の最高指導者だったニキータ・フルシチョフは、どんなにかニンマリしたことでしょう!

 

おそらくカストロは初め、共産主義にはさほど興味はなかったはずです。
最初にアイゼンハワー大統領が快く迎えていれば、アメリカといい関係を築くつもりでいたのでしょう。

でもソビエト連邦と接触し、正式な外交関係を結び、社会主義へと変わっていきました。

アメリカとは1961年に国交断絶しました。
そして同じ年に、キューバは社会主義国となりました。

アメリカはその後も、カストロ政権を倒すため、あの手この手の暗殺計画、攻撃を行いました。
カストロは2016年に90歳で亡くなりましたが、なんと600回以上命を狙われたそうです!
これはギネス記録だとか。

しかしこれだけ失敗するのはアメリカが無能なのか、キューバが有能なのか?!
はたまたカストロが神に守られた人なのか??

いずれにせよ、ますますキューバはソビエト連邦寄りになりました。

そしてソビエト連邦は、そんなキューバをアメリカから守るという名目もあり。
ミサイル基地を建設し、遂に核ミサイルをこっそりと輸送し始めたのでした。

核戦争アメリカvsソ連

ここから話の中心は、アメリカとソビエト連邦になります。

ソビエト連邦のフルシチョフ首相は、キューバに核ミサイルを配備する計画を立てました。
トルコのように、すぐにアメリカを攻撃できるようにするためです。

その核ミサイルを、空軍の偵察機が撮影した写真で見つけたアメリカは、そりゃもうビックリです。

1962年10月14日、アメリカの大統領はロバート・ケネディになっていました。

どうやってソ連の計画を止めるか?

ケネディ大統領は、

  • 空爆をするか?
  • 海上封鎖をするか?

悩んだ末に、

10月23日、海上封鎖宣言

に署名しました。
ソ連の船がキューバに近づけないようにしたのです。

もしいきなり空爆などしていたら、本当に戦争になっていたかもしれません。

核兵器を一発でも使ったら、相手も使い、この世の終わりです。
絶対に使いたくない、使われたくない。

双方とも全面核戦争は絶対に避けたいと思っていたでしょう。

 

ケネディ大統領の要望は、もちろんミサイルの撤去です。

フルシチョフ首相の要望は、アメリカがキューバへの侵攻を止めること
そしてトルコのミサイルを撤去することです。

 

しかしこの当時、首相同士が話せるホットラインはありませんでした。
ケネディ大統領とフルシチョフ首相は、6時間もタイムラグのある書簡で対話を続けるしかありませんでした。

 

そんな時、キューバ上空を飛んでいたアメリカの偵察飛行機がソ連のミサイルで撃墜される事件が発生。
これは開戦かと、一気に緊迫しました。

さらに今度はアメリカが、海上封鎖中のキューバ海域に向かうソ連の潜水艦を爆雷
一触即発の状態となりました。

核戦争を誰もが覚悟した時でした。

10月28日、日曜日の朝でした。

フルシチョフ首相はモスクワ放送で、キューバーのミサイル撤去決定を発表しました。
これは同時にアメリカのラジオでも放送されました。

アメリカの海軍・空軍参謀には、この放送を疑い、こちらから攻撃すべきだという声もありました。

しかしケネディ大統領も条件を受け入れ、キューバへの武力侵攻は今後しないことを約束し、
1963年4月にはトルコのNATO軍ジュピター・ミサイルの撤去を完了しました。

もちろんソ連も約束を守り、翌月にはミサイル基地とミサイルを解体し、ソ連へと持ち帰ったのです。

核戦争の危機から一転、平和レベルがアップすることとなったのでした。

キューバ危機の結果

アメリカから攻められることがなくなり、キューバのカストロも大喜び!と思いきや、彼はこの結果に大激怒だったそうです。
実はソ連と一緒にアメリカと戦う気満々で、核ミサイルを撃ってやれ!とまで言っていたのです。

なのに自分を蚊帳の外に、勝手に二国間だけで決めてしまったのだから、これは面白くないわけで。

後に、「自分はそんなこと言ってない」と言ったそうですが、ソ連にしっかりその時の記録を見せられて、ぐうの音も出なかったとか。
なんというか…カストロさん、血気盛んというか、青かったんですね^^;

でも核兵器はまずいでしょう、核兵器は。
まあ、それだけ、アメリカが憎かったのでしょう。

そこまで憎まれてしまうアメリカも…問題を感じてしまいます。

 

核戦争寸前までいったアメリカとソビエト連邦は、核戦争防止に共通の利益を見出しました。

そのため、両首相を結ぶホットラインを開設し、冷戦が一時的に緩和されることとなりました。
これを米ソデタントと言います。

まさに雨降って地固まる、ですね^^

まとめ

キューバ危機をわかりやすく解説!、いかがでしたでしょうか?

  • キューバ危機は、1962年10月16日から28日に米ソで全面核戦争寸前の危機的状態になったこと
  • 原因はキューバ革命でバティスタ政権を倒したカストロ政権をアメリカが疎んだことが発端
  • カストロはアメリカを捨て、ソビエト連邦に近寄り、社会主義国になった
  • ソ連のフルシチョフ首相はキューバに核ミサイルを配備
  • アメリカのケネディ大統領はこれを撤去させようと海上封鎖、両者に緊迫状態が続いた
  • 結局、ミサイルは撤去され、キューバもアメリカから武力侵攻されることはなくなった
  • 米ソにはホットラインが開設され、一時的に冷戦が緩和されることになった

でした。

これほど「もしも?」を考えさせられる出来事もありませんね。

映画や小説の中のようにハッピーエンドで終わりましたが、周りには核戦争をしたがる人々がウヨウヨいて、ちょっとボタンを掛け違えれば、まさに第三次世界大戦!

今、ここでネットしている私たちはいなかったかも…?